太閤門

付近住所 岡山県備前市浦伊部


 来住法悦(?〜1609)は、安土桃山時代この地で活躍した豪商であるが、その子孫来住家にあるこの門は「太閤門」と呼ばれている。享保年間(1716〜1736)の文書「来住權右衛門上覚」によれば、羽柴秀吉が備中高松城攻め(1582)の帰途立ち寄ると約束をしたため、法悦が御殿と門を新築した。しかし、秀吉は本能寺の変(1582)のため立ち寄らなかったとある。その後、御殿は妙圀寺に寄進されたと伝えられている。
 現在の門は、野面積の石垣が切れる部分にあり、しかも石垣はその部分で升形となるなど、門と石垣の配置が特殊なものと考えられている。
 平成6年、石垣を含む門の周辺一帯は「伝太閤門跡」として備前市指定史跡となったが、門の傷みがひどく、倒壊が懸念されたので太閤門保存会を組織し、浦伊部の方々、岡山県、備前市、(協)岡山県備前焼陶友会、妙圀寺、来住氏などのご協力をいただき、平成8年3月、保存のための全面解体修理を行った。